鯖と山芋と私

30 dai no mo jo

世界観のちがい

倫理観ってだいたい、

レベル1:嘘や悪いことをするのが、基本的にはイカンことと思っている

レベル2:嘘や悪いことをするのは、バレなければいいと思っている

レベル3:嘘や悪いことをしてもいいし、バレてもいいと思っている

の3層くらいに別れている気がする。バキッと別れるのではなく、皆なんとなくレベル1と2の中間~とかそれぞれの場所にいる感じ。

そして、基本的には、自分のレベルと隣のレベルのことは日常的な想像力の範疇だけれど、隣に隣になっちゃうと厳しい。

例えば「嘘をつくのは基本的によくない」と思ってる人は、目の前の人が「嘘をついてもバレなきゃOK」という可能性は普通に考えられるけど、まさか相手が「嘘をついてもすぐバレてもOK」というところまでいってしまっている人間だということは、なかなか想像できないのだ。

レベル1と2、2と3の、隣同士でも、親しい人付き合いになるとなかなか難しいが、レベル1と3になってくると、同じコミュニティの中でやっていくのも厳しい。

そして、やっぱりコミュニティも、多少のブレはあっても同じくらいのレベルの人たちが集まってる気がする。

 

私はたぶん、少しだけいい加減なレベル1だけれども、正直レベル2や3のような生き方は、心に負荷がかかると思う。

人間、嘘をついたり悪いことをすると、疲れる。思った以上に神経がすり減るし、罪悪感を背負わなければならない。罪悪感があるとやりたいことや言いたいことができなくなり、本来の自分らしい性格みたいなものが歪んでくる気がする。

それに、人間どうしても「自分がこうだから他人もこうだろう」という判断のバイアスがかかってしまうから、常に他の人が自分を騙してるとか、害されてるとか、要らん疑いをもって生きることとなる。どこまでが客観的に正しい疑いで、どこからが疑心暗鬼なのか、わからなくなる。

こういう心の負荷を軽く見積もっているのは、自分の心を、一時の感情ではなくもっと芯の部分を、大事にしない生き方なんじゃないかと思う。

 

まぁ、そもそもなにが嘘で、なにが悪いことなのか、個人の価値観によるのだけれど。

独り暮しの無職シミュレーション

家族が旅行でいない日曜日。目覚めた瞬間に思った。

「今日一日、独り暮しの無職という設定で暮らしてみよう!」

 

最近仕事辞めたすぎて方向性がおかしくなってきた。

 

まずは起床して家中の雨戸を開ける。7箇所もあって最初からけっこう大変。独り暮しだったら本当はこんなに苦労しない。

洗濯機をまわしながら、パンに昨日の残りのスープ、目玉焼きで朝御飯。部屋に掃除機をかけて、庭の花に水やりして、家の前の道路を掃除。やっぱり独り暮しだったら以下略。

お洗濯ものを干して、気ままにお出掛けしちゃおうかな!無職だし!私の家は徒歩圏にユニクロがあり、自転車で根性だしまくれば激安衣料品の聖地ファッションバザールのとやがある。無職(という設定)ならお安くお洋服ほしいよね!頑張って遠出しちゃおうかな?

と思ったところでストップ。

無職だったらそんなに服要らなくない?

ストッキングとシャツほしいって思ってたけど仕事に着ていく服は少なくとも要らなくない?

無駄に設定に忠実なので、ここは大人しくおうちで編み物でもしておく。冬がくる前に手袋を作っておくのだ。

二時間ほど編み物をして、お昼御飯。適当に焼きそば。冷蔵庫に余りの豚バラと大根があったので、スマホで漫画を読みつつ煮物を仕込んでおく。

煮物の火を止めてお買い物に。やっぱり秋はお魚がうまいよね。コレステロール的にも魚は優秀。しかし魚は高いのである。無職としては100グラム200円近い高級魚には手が出せない。

サンマ安いな、美味しいし、サンマにしようかな、と思い悩むも、焼くとグリルの掃除が大変という欠点もある。タンパク質の中で値段的に一番魅力的なのはダントツ鶏だけど、今日はもう魚の気分になっている。

さんざん悩んで一切れ150円の鮭で落ち着く。わーい秋鮭。塩入ってない秋鮭はホイル焼きやムニエルにして食べると最高である。冷蔵庫のきのこの余りとタマネギでホイル焼きにしよう。

帰宅してお洗濯ものを畳む。ふわふわのお洗濯ものにまみれていたら意識を喪失。夕方までお昼寝。

目が覚めたら真っ暗だったので、慌ててお風呂を準備して、夕飯のしたく。

本日のメニューは秋鮭のホイル焼き、豚バラ大根、ニンジンと玉ねぎの玉子炒め、お味噌汁。大根が味が染みてて美味しかった~。

 

そんなこんなで無職独り暮し設定で暮らしてみた。全部自炊だと、一日食費500円以内に収まるかな。食材をうまく使い回すのが難しそう。

無職設定だと、ホイホイお金が使えないから、あまりお外に行かなくなるな、とも思った。お金を使わないで一人でお外で楽しむ方法。図書館とか、公園とかジョギングとかお散歩とか、そのくらい?日本の世の中って、特に大人は、外で遊ぶのにお金がかかるのだなぁ。ここはもっと開拓の余地のあるところかも。お散歩しつつおもしろ看板探訪とか。楽しそう。

実はけっこう朝が苦手で、毎日母親となんか喋ってるんだけどあまり覚えてなかったりする。

高校くらいの頃は朝、親と喧嘩して、帰ってくる頃には喧嘩したという記憶自体なくなっていて「えっなんかお母さん怒ってる?なんで?」みたいなことも時々あった。

喧嘩する理由もハァ?ということが多く、何らかの理由で目玉焼きにキレたらしく、逆ギレした母が夕飯の味噌汁に朝の目玉焼きを突っ込んできたことなどもあった。全く覚えてないけど、どういう喧嘩したらそういう展開になるんだ…

今日もなんか頭スカスカすぎて、「起きてると見せかけて起きてない。こういうときにちゃんと着替えたり歯を磨いたりできるから惰性ってありがたいよね」みたいなことを言ってたような気がする。もしかして覚えてないだけで毎日そういうことを言ってるのかもしれない。

うーん、眠っ。金曜なのに明日も仕事なので一ミリもうれしくないけど、がんばりましょう。

エスエヌエスエヌエスエヌエス

青い鳥と顔本と、あとそれからこのブログをやっている。

青い鳥は趣味で繋がった人、顔本はリアルな知りあい、どちらも鍵つき。そしてこのブログは誰に対するわけでもない、あてどない、そして私のなかでは差し障りのない内容になっている。つもり。

 

毎日色んなことがあったり、思ったり、でもSNSとかに書くのはその数パーセントだし、ブログはそのまた何割かで。それって私の中のどれくらいの部分なんだろう。

 

そしてこんなに使い分けてるのに、思ったり考えたりしていることは、書けないことのほうが多いのだ。

 

皆きっとそうなんだろうな。それぞれがちょっとずつの本当の自分の切れ端を、ネットの海に放流しているんだろう。ガラス瓶にいれたお手紙みたいに。

胃腸くんにいいたいこと

母と夕飯頑張ってつくってたら突然すごい気持ち悪くなって結局食べられず、コンソメスープだけ飲んで就寝。

寒気と吐き気がするけど熱はなく、翌朝も軽く気持ち悪くて下痢。

なんかなー胃腸なーお前ナーーーー。

わかってるんだよ、急に寒くなったし雨も降って気圧の変化きつかったよね。

最近仕事も忙しかったよね。

って言ってもナーーーー。

ちゃんと毎日いっぱい寝てて、食べ物も選んで、食べすぎず、お前にすごく気を使ってるつもりなんだよ私は。

なんで?仕事がいけないの?私はそんなにきつくないつもりだけど、胃腸くんは週5で働くの嫌なのかな?貴族かな?

毎日三回も働いてくれて、胃腸くんには感謝してる。でももうちょっとせめて人並みというか中の下くらいの頑張りを見せてくれてもいいんじゃないかナーと本体は思っている!!

お休みの日

出掛けたら、道で知らん人に話しかけられた二連続。

 

ひとりめは推定インド人。

スーパーの前で急に「ハーイ、はじめまして」と言ってきて「えっ………はじめまして」と返事したら、「スミマセン~」と去っていった。なんだ?

ふたりめは素敵なマダム。

駅で「〇〇会館にいらっしゃるの?」と訪ねられ、普通に違ったので「いえ、違います」と言ったら「あら、ごめんなさいねぇ」と去っていった。なんだなんだ?

 

ウェルカムオーラが出てたのかな?服装の問題???

すごい軸 楽しい軸

対人関係で、

相手からすごいと思われることが大事だと思ってる人

相手から楽しいと思われることが大事だと思ってる人

特になんか大事だとか思ってない人

とがいるような気がする。

 

すごい!が大事な人は、いかに自分を認めてもらうかだ大事だし、相手をすごい!と言ってあげることが良いことと思っており、

楽しい!が大事な人は、いかに楽しい時間を過ごすかが大事だし、相手に楽しいね!と言ってあげることが良いことと思っている。

 

すごい!タイプの人は相手と一緒にいて楽しくても、すごいやつだ!と思わなければ、あまり高い評価はつけないし、

楽しい!タイプの人は相手がすごい人でも、楽しいやつだ!と思わなければ、あまり高い評価をつけない。

友達としての評価の話ね。

 

すごい!タイプの人はマウンティングをとりがちになり(一緒にいて楽しくなくても自分の存在価値を高める相手であれば一緒にいるので)

楽しい!タイプの人は他人に冷たくなりやすい(「自分」が楽しいかどうかで付き合いを判断するので、見えづらいタイプの他人の長所に気づきづらく、人間関係をスッパリ切りがち)

 

もちろん、楽しいとすごいは相反する概念ではないので、どっちかしかあり得ないわけではないけれど。

自分がいまいち相手に大事にされてない、評価されてないということがある場合、人間をどう評価するかの軸が違う、なんてことも、あるかもね。