ハムの林

30代mojoが編んだり読んだり夢見たりするところ

ブログ整理しました

整理しきれてないんですけどねハハハ。

 

整理を試みたことで、おそらく95%くらいの機能が使えていないのでは?ということが発覚しました。難しいね。

 

ブログはじめて8ヶ月くらいですが、はじめの頃の記事とかを見て「この頃は、まさかこんなにも仕事のてんやわんやが終わらないとは思っとらんかったね…」としみじみした気持ちになりました。

 

冬もすぐそこ、というかもう一歩くらい冬に踏み込んでいるので、朝、仕事に行くときちょうど朝日が昇っている頃です。

今朝は道路を塞ぐみたいに停まってる、空っぽのバスの窓の向こうに見える東の空が、琥珀を足した金色だった。きれいだなぁ。雑居ビルの壁とか、町の白いところがみんな柔らかい金色に見える。白って日光に映える色なんだなぁ。寒いのに、暖色系の光がさしてると、風景があたたかく見えますね。

清少納言は冬はつとめて、って言ってたけど、曙もムチャクチャいいね。

 

ほんとはそのままコンビニで肉まん買ってほくほくしながら帰って、コタツで一眠りできたら最高なんだけど。そういう人生にどうやったら方向転換できるのか。そんなことを考えながら、今日も誰かが電車に飛び込んだ、というアナウンスの流れる電車に揺られています。

むしゃむしゃしてやった

連休でちょっと台を湾してきたよ。

 

うーん、この異国感
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建物のせり出し方がすごい
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台湾の食べ物は比較的日本人の口に合うので(私調べ)気がつくとなんか食べてる。とにかく間断なくなにかしら食べていた。そんな私のお勧め台湾ごはん。

 

胡椒餅

餅といいつつ小麦粉をこねて伸ばしたものを重ねて焼いたもので、パイからバターを引いたみたいな層タイプの生地。台湾のナントカ餅はこういうのが多い。

中に豚肉とたっぷりネギの餡が入ってて、胡椒がかなりきいててスパイシー。美味しいやつは外はカリッとしてるけど、一口かむと中からジュワーっとゲキアツな肉汁が溢れだしてきて軽率に舌を負傷する。最初に欲を出さないのが肝心。美味しくないやつは食べたことないからしらない。

私はネギ多目が好きです。40~50元(日本円で150円~くらい?)で肉まん感覚のおやつ。

 

〇豆漿

豆乳ににがりをぶちこんで、豆腐になるその前のものをいただく?ような感じ。トロトロでやたら謎の出汁の利いてる豆乳スープ(ただし豆くささはそんなにない)という感じで、ザーサイとか謎の辛い成分が刻んで入れてある。

油滌(字がわからない)みたいな名前の揚げパン様の物を入れて食べるのだけれど、これがかなり美味しい。ただ、美味しいお店で食べたから美味しいのかも。

地元のローカル食堂で食すのに英語も日本語も通じず、漢字筆記でのコミュニケーションが必要だった。日本円で100円くらいの激安朝ごはん。

 

〇小籠包

味じたいは日本のお店の小籠包もけっこう美味しいのだけれど、値段が日本の半分くらいな気がする。日本の小籠包が高いのか?

スープがタプタプなところと若干控えめなところがあるけど、どっちも美味しい。皮がだいたい手作りで、薄いのも厚くてモチモチなのもいい。ディンタイフォンだけものすごく高い。美味しいけど。

 

〇マンゴー

めちゃうま。しかも安い。夏に台湾行ってマンゴー食べないで帰ってくるのは奈良に行って大仏スルーして帰ってくるのと同義。みずみずしくて甘くってマンゴーそのもの本来のちょっとした酸味と香りも脇侍として控えており、生きてるうちにマンゴーを知れる人生で良かったと思わせる。しかも安い(大事だから二度言う)

お店の人がそのとき食すのに適した熟し具合のマンゴーを教えてくれた。台湾の人ヤサシイネー。

 

〇蕃茘枝(ばんれいし)

緑色のゴツゴツした果物で、見た目から釈迦頭とかいう物騒な名前がついている。見た目に反して柔らか頭。我々はビギナーなのでスプーンで食べたけど、地元民はお釈迦様の螺髪の部分を一個ずつ手でもぎって食すらしい。いいのか釈迦なのに。ワイルドネス台湾。

マンゴーに似たちょっとネトッとしてるけど少しだけ繊維もある食感で、甘くてほんのすこし酸味あり。酸っぱくはない。種が多いので食べずらいとのこと。私はかなり好きな味。

 

〇中華粥

具はお肉とかなんだけどスープに芳醇な干しエビとか貝柱の力をビシバシ感じる。とっても美味しい。海老のだし好きな人にとってはユートピアのようなお粥。フライドエシャロットもうれしいね。

なんか全体的に海産物は干しエビとか貝柱とか乾物、出汁系はすごく美味しいのだけれど、カニとか牡蠣とか、実そのものもを楽しむものはやっぱり北の厳しい自然でハチャメチャに洗われたやつらの方が美味しいような気がする。

 

あと、私のように果物大好きフルーツウーマンは夏は果物安くてムチャクチャ楽しいけど、観光的には暑いし湿度も高いし雨も多いので冬のが良いのではないかと思いました。

私も今度は冬に行ってみようかな。ランタン祭りとか見てみたい。けどお高いんでしょうその時期?どうしようかな~

ドロップアウト願望

電子書籍でよく宣伝してる、OLさんがドロップアウトする漫画。さわりだけちょっと読んでみた。

派遣でお給料もきっとそんな高くないだろうに、たぶん周りに合わせるために都心のきれいな2LDKに住んでいる。本人節約が趣味なのに、なんかもうこの時点ですっごい窮屈そうだ。その後も社会や人間関係の窮屈そうなことばかり、唯一心の支えだったイケメンエリート彼氏にも心ない陰口を言われてるのを知り、全部捨てて郊外のボロアパートにお引っ越しする。

正直、ドロップアウトする前の彼女は妖怪ニコニコさんみたいで、そりゃ女はそういう絶対に腹を見せない女は好かんだろうし、周りから評価の高い彼氏に結婚してもらってゲームを上がることばかり考えてるように見え、ある意味これは自業自得の部分もあるよね?という感じなのだけれど、それでも全部オラーーー!!って捨てて逃げれる勇気、度胸はすごい。

なんもかんも嫌なのにちゃんと仕事の引き継ぎするところも真面目。あんな確執ありそうなお母さんにちゃんといい娘取り繕うところも責任感すごい。自分の偏見をきちんと反省したり、勇気だしてみたり、えらい。

でも、なんだかちょっと、全部放り出してひとりぼっちで飛び出す彼女が、羨ましいような気もする。

普通の人は、そうはできない。暮らしへの不満だってあるけど良いこともあるから我慢するし、どうにかこうにかやっていかなければならない。

あらゆるものをかなぐり捨てて逃げるのは、苦しい人の特権だ。

 

でも本当にそうかな?

 

逃げるのも、捨てるのも、なにか特別な人にだけ許された特別な権利なのかな。それって本当かい?

人間って別になんの理由もなくっても、それが誰かを傷つけるんじゃなければ、もう明日にだって好きなところへ行けるんじゃないの?それが自由というものでは?

 

なのに弱さや辛さを自由になるための免罪符のように感じてしまうっていうのは、それはなにか、やっぱり違うんじゃないか?

ほんとはどこにだって行けるけど、特に行く必要がないだなんて。そんなの言い訳なんじゃないかしら。どこにも行けないと泣きながら一歩踏み出す人の方が、私なんかより全然自由なのではないか?

 

めがねっていう映画があって、南のきれいな島でたそがれるんだけど、キャッチコピーが秀逸でね。

「何が自由か、知っている」

私も海のきれいなところに、自由を探しに行こうかな。

海へ行った日のこと

一度だけ、一人で海に行ったことがある。

 

当時一人暮らししていた町が海に近くて、引っ越しが終わって家族が帰った翌日に、ひとりになって急に海に近いことを思い出した。

グーグルで地図を見たら案外チャリで行けそうで、思い立ったらすぐに自転車を漕いでいた。

海までは30分くらいだった。ジャリの浜がゴロゴロしてて、寝転がると背中がいたくて、空は曇っていた。遠くに風車が見えて、なんだか私、なんだってできるぞ、みたいな気持ちになった。

だって女一匹、ひとりぼっちで自転車で海に行けたらさ、もうきっとその人はどこにだって行けるよ。

 

今でも時々、海がみたいなって思うことはある。だけど東京の近くの海は、あまりに孤独から遠すぎる。

 

懐かしいな、もう十年も前だ。

きれいじゃないし晴れてないし、ぱっとしないし、すきとおってもない海だったけど、

私その時、寂しくても生きていけるって、そう思った。

今あの海を見たら、私はなんて思うのかな。

嫌われ松子の一生

仕事が忙しくトラブル続きで心のHPがピンチなので笑いか涙でデトックスしよ!とゾンプラ(amazonprime)探ってたら、10年以上前に見て大号泣した「嫌われ松子の一生」が。

あのときは泣いたけどねー、まぁ一回見て内容知ってるし余裕っショーとか思ってたら、

 

大号泣

 

いやー、この映画ね。ホント松子バカだし不器用だし衝動的だし肝腎なところで自分を貫けなかったりその場しのぎでどうにかしようとしたり都合のいい相手をほいほい信じて騙されたり、大いに自業自得だしぜんっぜん共感できないんだけど。

でもさぁ、共感できるかできないかっていうのと感動するのは全く別物だよ………松子……悲しい……

この映画は昔スクリーンで見に行ったんだけど、その時よりも三十代になってからの方が染みるものがある。

松子は帰る場所や愛する人が欲しかっただけなんや…それでずっとさまよってて、絶望して、だけど妄想の中で妹の髪を切ってやって、希望が見えて…私はその先の松子が見たかった…帰る場所も愛する人もいなくても、自分の足で立ち上がる松子が見たかったよ…一生なんかじゃないよ、松子。まだ半分しか生きてないよ。愛に生きる人生と、自分を生きる人生の、片方しか生きてないじゃん…だけど松子がふれあった人たちのなかにはちょっとずつ(人によってはたくさん)松子が存在していて、そういう人生ってどうなんだろう。幸せとか不幸とか、他人から言えるようなもんじゃない、人生そのもののスルメ味みたいなものを感じる…

誰かのいいなりになるとか、愛してるって言うとか、そういうんじゃなくて、妹さんに髪を切ってあげるとか、おかえりって言ってもらえるとか…きっとそういうものこそ必要だったんじゃないかと思うけど、家族にたいしての複雑な思いがそれをさせなかったのか…

でも私が松子でもグレてる可能性は否めない。絶対ひねくれる。私が松子でもめぐみの部屋に寄れないし、めぐみの助力にすがれないし、理容師の家に突撃できない。その辺は十年前はわからなかったけど今はわかる。人間なんて実にちっぽけで下らなくいじましいものだ。自分もそうだもの。

中谷美紀の演技がとにかくすごい。そして他の人の配役も素晴らしい。瑛太も現代の気だるげな若者ぽくてよかった。時時流れる歌の演出も泣かせるし、絶対にあんなに星が見えない東京の夜空なのに、故郷の川と似てると気づいたあと、川辺に満点の星空が見えるのもいい。リアルではなく心情を景色に投影してるかのような画面だ。こういうのなんていうの?印象派

私は松子が人を愛し抜いた神様、というのはちょっと違う気がして、不器用で不運で不幸な一人の女の人だと思う。全部はわからないし共感もできないけど、ところどころ自分もそうだとか、人間ってそうだよねとか、存在しない人なのにまるで自分の友達のような距離感で見てしまう。

とにかくメチャメチャ泣いて仕事の気がかりなこととか嫌なことはなかったことになった。が、泣きすぎて目が腫れて明日がヤバイ…

ホヮァ

今になって気づいたんですが、服が完全に表裏逆

えーどういうこと朝家出る時からずっと裏だったの 縫い代見えてたの

じゃあ私が電車のってる時も

大事な会議で議事録とってる時も

取引先にかっこいいこと言ってる時も

落ち込んでる友達を慰めてる時も

ずーーーーーーーっと縫い代見えてたの どうして誰も教えてくれなかったの

友達が「その服襟にタグないから気づかなかった」って言ってるけど本当かよ

だって縫い代見えてるのよ肩も脇も ああ 表裏逆

今さら直すのもなんか負けた気がするし、今日はこのまま帰ったるわ コンニャロ

目と耳メモリ共有疑惑

ヘッドフォンで音楽聞いてて鉛筆を落とした時、床に落ちたであろう鉛筆を探してもなかなか見つからないのに、ヘッドフォン外すとすぐ見つかる。そんな経験ありませんか?

私思うんだけどね、人間の脳みそで視覚の処理をするところと聴覚の処理をするところは別々だとは思うんだけど、だとしてもなんかメモリみたいなものは同じじゃないかと。

聴覚をフルに使う状況下だと、視覚その他のの注意力が鈍る…ような気がする。

 

例えば、満員電車のなかでカナル型イアホンをしてる人には、ノーイアホンの人と比べて足を踏まれる確率が高い(私が)。塞がってるのは聴覚だけで触覚は何の影響もないのに。よく見ればパーソナルスペースも広い。自分の横に詰められる空間があっても気づかない。視覚を妨げるものは何にもないのに。

 

脳味噌のことはよくわからんけど、なんかの感覚をフル稼働させると、もう一方をフル稼働させることができないんじゃないかなぁ。

 

なので、イアホンしながら歩くのは、音漏れどうこうということではなく、自分が危ないと思う。

私たちは目のみで物を見ているに非ず。あなたの目は見えていたとしても、あなたの脳は、見えてないかもしれないよ。